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自分の内面が見事に言語化された話 [毎日のこと]


ここに何かを書くのは半年以上ぶりなわけですが、
それは多分、書くに値すると感じることがなかっただけで、すなわち自分の生活がとても単調で、
ありふれていて、大きな進捗が無かったことを意味するんだと思います。
少なくとも、自分の中でわざわざここに書きつける意味があると感じる出来事はありませんでした。

大体の事はツイートすることで
140字以内の衝動を複数回書きつけることで
解消されてしまっていた、ということなんだと思います。

で、今ここに書いていくのは昨日の出来事なわけですが、そうして過ごしてきた自分でさえ
これは書かなければならない、と思うわけです。


最近、転職を検討していまして、まあその第一弾として目を付けた会社の代表との面接に行ってきました。
その前に人事の担当とSkypeで面談していましたが、普通の内容で問題なくやり取りできたので
「まあ仕事やキャリアについての大局的なビジョンだったり考えを聞かれるかもなあ」という感じで考えていました。会計事務所の面接だったら「将来税理士になるのか、会計士になるのか」とかそんな感じです。

もう全然違いました、今思えば内容の抽象度を過小評価で予想してしまっていたんだと思います。

最初は経歴を肉付けしつつ話直すところから入ったんですが、
代表さんの質問はざっくり言えば
『どういう人生にしたいか』でした。(最初から途中まで質問の意図をまるで把握できなかった)
仕事という枠組みを飛び越えて人生レベルでした。
というかそういうフレームワークがもう取り払われているんだと感じました。

そこでの僕の返答を振り返れば、
仕事してやっている経理にしても、個人としてやっている家庭教師でも、相手に何かしらのニーズがある状態でその解決をサポートしていくことがしたい。で、究極的な理想としてはもう自分が必要なくて万事がうまくいっている状態を目指していっている。

という感じです。「自分が必要ない状態を目指す」っていうのは特に教育に関する仕事をやっている時に常に意識の上では考えてきたことで、それこそが「隠居」という自分の言葉で表現されていたし、実際にその場でも「一言で表現すれば」と求められたときに「隠居・・・ですかね」と答えました。(まさか面接中に「隠居」なんて言うとは思ってませんでしたが。)

きっかけとなる質問は、『ではその理想的な状態を実現するのに、どのくらいの時間がかかると思いますか?』です。
自分にとってそれはあくまで理想であったので、実現について具体的な検討をしたことは一切ありませんでした。だから、「現実は、どこかに何かしら自分のニーズが存在するので果てしなくサポート活動をしていくことになるんだと思います。」みたいな感じの返しをしました。

そのやり取りの後だったか、もしかしたら前だったかもしれません。インパクト強すぎて時系列飛んでるんですが、まあ上記一連の僕の考えに対して、先方が
『つまりあなたは必要とされたいんですね』と返されたときに虚を突かれたと感じました。
まあ今まで自分が関わってきた他の人は実はみんな気づいていて、本人だけが気づいてなかったのかもしれません。そうだとすればさらに滑稽な話だと思います。
必要とされたい、と思って動いていた自覚は正直ないです。あくまでも必要性を解消していくを考えていました。だから無意識に隠していたということになるんだと思います。
際限がない必要性の解消欲求は、必要性そのものに対する欲求に他ならなかったというわけです。
間違いなく今まで考えたことがない視座の提供でした。
言われた瞬間は「え?そういうことなの?」みたいな感じでしたが、まあ上記の表現ができた今では何とか繋がってきたって感じですかね。

そのあとかな、
冒頭に年収かなんかの話したときに、独身だし彼女とかいたこともないんでー(笑)みたいな自虐発言をしたしばらく後で、発信系のビジネスも読み手のこと考えるとかが無理でできる気がしない。みたいな話をしたら「どっちも相手のニーズを想像していくのが必要だから多分同じ」「これできないとビジネスは全部無理」みたいな返しをされました。いやもうこれについてはどっちもあきらめがついているので完全に納得って感じでした。ストレングスファインダーの結果を見返しても、共感性とか他者に対するスキルは親密性以外軒並み低いし、対人ゲーやってても相手の立場とか「???」って感じなのでそういうことなんだなって感じです。

ニーズへの想像力が無いと確かに多くの人々に対してこっちから仕掛けていくタイプの現代ビジネスは無理だというのは理解できます。ニーズが自明か、ニーズのヒアリングによってそれを把握した場合に、最適化するためのスキルをいくらか発揮できていただけだということなんだと思います。勝手に考えても分からなかったんで僕は基本的に「聞かなきゃわからない、言わなきゃ伝わらない」というスタンスを意識的に構築していたわけですが、『相手との対話を恐れているんだと思う』とのことで『対人恐怖がちょっとあるんじゃない?』と言われました。ノイローゼになって自殺未遂した経緯も思い当たりましたが、もっと前の影響もあるんだと思います。


そのあたりだったか、面接中に「やられたー!」って思わず言ったんですよね。
(いやもう普通の面接ならこんなこと言ってたら即刻終了な気もします。)
でもそれはその前の一連の流れですでに自分の事を見事に見抜かれていることに対してはなった言葉でしたが、この言葉1つから次の分析が進みました。

『やられたって言葉1つとっても、コミュニケーションの構造として常に相手と向き合う対立関係を設定している
という感じのお言葉でした。これについてはすぐに自分でも腑に落ちました。
そこで『コミュニケーションは対立だけじゃなくて相手と同じ方向を向いて一緒に何かをやるスタイルもある』といった感じの話をしてもらって、そしてそれをやるスキルが身についてないということを察しました。だってそんなにやったことないですから。下手したら実の所そう思って臨んだディスカッションや会話は一回もないのかもしれません。先方からはそんな僕の対立的なコミュニケーションのあり方に『ディストピア的』という表現を頂きました。

高校時代は点数という分かりやすいKPIを元にドライなものの見方と徹底的な自己管理で戦ってきた時期があります。今の考え方や仕事に対するスタンスの多くは恐らくそこで構築されたものだと思っています。
他者は相手であって利害の対立要素をどこかしらで持つという前提で、基本的に自分で何とかするスタイルの僕に対しては至極的を得た表現だと思います。チームプレイとか殆ど人生でやってきてないというか適応できていない現実がそこにあるんだと思います。


色々と話した後で、ジョインの余地はあると言われました。あるのかよって思いましたが、まあぶった切られるよりはるかにましです。その根拠っぽく『15分くらい話すとどういう人か大体は分かる』みたいにさらっと言っていてレベルが違いました。
今まで人事を敵視し「その辺のおっさんと一緒やろ」とか思ってましたが、ここにきて今まで見てきたその辺の人とはまるでレベルの違う、少し話しただけできちんと相手の分析を本人以上にしてくる人と初めて話したと思います。

メタ認知って言葉は先方もよく使ってきましたが、本人がそれを徹底的に意識できているのと同時に会話や語彙に関する感度が自分よりはるかに高いと感じました。だからこそ僕の話す内容や言葉を拾ってそこから分析ができているはずです。この会社の人事の人との面接時には『自己分析めっちゃしてますねー!』とか言われましたが、代表の他者分析でそれを上回る自己についてのメタ認知がもたらされたって感じです。同時に己の未熟さが際立ちました。

1つ考えるようにしたいのは、明らかになった自分の弱さを、解決して補強していくのか、
ほっといて強い部分を主軸にして勝負できる場所を新たに探すのか、という所です。人生のメタゲームをするのか、王道のゲームで己を鍛えて勝ちに行くかどうかって表現ができるかもしれません。
ここで何かやるのなら補強路線(=自分の弱みやなんやかやに向き合って問題解決する)は必然の選択ですが、いままでそれを無意識に隠し、あるいは意識的に回避し、いなし続けてきた俺にできんの?みたいな感じもあります。己に対する不信とコストに見合うリターンがそこにあるのかという見積りのなさがその理由です。今新たに言語化された内容がクリアされたなら『スーパーマンになれる』との事でしたが、「スーパーマン」にならなければダメなのかとか、約25年分の心のクセを直すのは恐らく相当難しく、それこそ25年以上の時間が必要だとさえ感じることととかですね。対人スキルについては精神科いった方がいいでしょうか(笑)

まあそこへのジョインについては形態と時期について調整が必要そうで、ひとまず案が出たのはあるプロジェクトへのインターンとしてのコミットでした。興味は持てる内容ではあったもののどうするか今日の残りは上の事も含めつつそれについて考えないといけないでしょう。

相変わらず読み手の事は考えてませんね。だってこんなこと書いたって相手には何の価値も与えないでしょうから。それでも、自分のために書いてます。今はまだ、それが自分だということなのでしょう。

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