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共謀罪と治安維持法を何となく比べてみた [時事ネタ]

何となく気になったから日本史のテキストと、法務省のHP( http://www.moj.go.jp/houan1/houan_houan23.html )を見て考えてみました(笑)
なんかこの2つ似ているとかいう話を聞いたんですが、
あんまそんな感じしなくね?という立場で違うっぽい所を見てみます。

違う所① 名前(そこからかよ)

治安維持法・・・「法」ですね。 そして治安維持、ちょっと漠然としてますw
共謀罪・・・どうやらちゃんとした名前は「組織的な犯罪の共謀罪」というらしいです。刑法等の一部を改正する法律案に盛り込まれた「罪」ということみたいですね。個人的な犯罪ではないと分かりますね。

違う所② 背景と目的

治安維持法の背景・・・普通選挙法の実現と、当時影響力を増しつつあった社会主義です。
治安維持法の目的・・・社会主義(つまりは共産党、大げさに言えばコミンテルン日本支部って感じでしょうか)の影響力拡大と、普通選挙法が実現したことによって可能性が出てくる無産政党の議会進出に対応することが主な目的だったと言えると思います。

共謀罪の背景・・・国際組織犯罪防止条約が採択(国連で採択ですでに発効済み)されたこと。日本はこれに早く加入したいみたいです。
共謀罪の目的・・・一番の目的はこれを新設することで、国際組織犯罪防止条約に加入することみたいです。HPでは第一に書いてあるメリットとしてこちらを書いてます。そして、「また・・・」と続く内容の中に、巷でよく言われている「共謀段階での検挙・処罰が可能になる」という話を書いてます。

違う所③内容

治安維持法・・・天皇制を倒す(社会主義の考え方ではそういうことに繋がっていきます)ことを考えたり、私有財産制度の否認(つまり共産主義ですね)を目指す運動を懲役または禁錮10年以下の刑にする、という内容です。「運動」に対して罰するみたいですね。史料の一部を直接引用すると、「結社を組織し又は情を知りてこれに加入したる者は10年以下の懲役・・・」とあるので、特に結社の組織や加入が対象なのだと思われます。

当初はこういう内容でしたが、その後緊急勅令の形式で改正が行われます。
最高刑を死刑または無期刑とし、結社に関係した協力者も処罰対象(目的遂行罪と呼ばれています)としました。
厳しくして適用対象も広くしたわけですね。これによって、社会主義に運動に何らかの関わりを持った人間がすべて検挙対象となるという状況になりました。目的遂行罪は偉い人たちが「逮捕したい」と思った人を誰でもいつでも逮捕できる合法的な根拠規定になったと言われています。1941年には予防拘禁性が導入されて、刑期が終わっても再犯しそうならそのまま拘留できるようになりました。

こう確認すると、世間の皆さんが「何でもかんでも犯罪の対象になっちゃう」といっている話の根本はこの目的遂行罪の話が関係あるのかなと思いましたね。


共謀罪・・・①長期4年以上の懲役・禁錮以上に当たる重大な犯罪であること
      ②団体の活動として犯罪実行のための組織により行うことを共謀している、又は団体の不正権益の獲得・維持・拡大を目的として共謀していること
      ③この場合における「共謀」が「特定の犯罪が実行される危険性のある合意が成立した場合」であること
以上の3つの要件をすべて満たす必要があるみたいです。治安維持法に比べると要件が複雑で厳しそうな感じがしますね。あと結社の組織や加入をしただけ(何の共謀も成立していない状態)では、共謀罪は適用されないと思われますが、仮に治安維持法がまだ存在していたらもうその時点で捕まってしまうと思います。

・まとめ

共謀罪に該当した場合の懲役がどのくらいかはあんまり分からなかったのですが、
適用範囲に関していえば、確かに共謀罪は治安維持法より狭いなとは思いましたね。
皆さんが読んでどう思ったかはお任せしますが(笑)

目的遂行罪のように解釈次第でバンバン逮捕できるような規定かどうかは、法律解釈の専門家ではないのでわかりませんが、それさえなければまあ大丈夫かなと思いました。

後は治安維持法のように怪しい感じの市民をバンバンどんどん逮捕することが第一の目的ではなく、
国際的な協力体制に加入するのが共謀罪の第一の目的っぽいなということを抑えておいて、
とりあえず今後の成り行きを見つめることとします。

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全国統一高校生テストをオススメする理由 [時事ネタ]


昼にも更新しましたが、今日は塾で生徒の子にした話を少しこちらでもしようと思います。
受験生や高校生向けの話になりますが、そうでない方はここでの話をそのまま伝えてあげるという形で意味を持たせられるかと思います。


今、テレビのCMなどで東進ハイスクールが全国統一高校生テストを宣伝していますよね。

無料の模試でレベルはセンター試験レベルです。
センター試験自体は大体高校1,2年生の内容を中心に出しているので、ほぼ「全学年共通」といっても確かに差支えないでしょう。

多分僕が高校3年生の時に始まり、僕は「高校3年生・5教科7科目」部門(最初の年は学年で分けた上に科目数で各部門を細かく分けていました)で確か全国91番あたりをとってipad2(今は壊れてしまいましたw)を貰いました(笑)今もそういうのあるのでしょうか・・・

それはさておき、

僕は高校生及び受験生に「無料だからこの模試受けた方がいいよ」という風に言います。

でもそれは単に「模試を受けるのに料金がかからないから」というコスト的な意味ではありません。そんな理由は小学生でも思いつきますww

説明をする前に、少し長くなりますが、そもそも模試の結果というものの妥当性=信頼度についてお話をしておきましょう。

模試を受けると東進のセンター模試なんかだと1週間、河合や駿台ではもう少しかかると思いますが、模試の結果が返ってきて、得点やら偏差値やら志望校の判定が書いてありますよね。



あれ、100%信用できると思いますか?




こんな質問してる時点で「そうではない」って言わせたいの丸見えなんですが←


特に偏差値(=模試を受けた集団における自分の位置)とかに関して言えば、

一緒に同じ模試を受けた人達 と 本番競い合う人達 は完全には一致しないですよね。

模試を受けても本番寝込んでしまったり、あるいは別の大学を受けたり。
模試を受けなかったけど本番には現れる人だって当然いるはずです。


【さらに言えば、当日だけ偶然調子が悪かった人、良かった人、本番直前にいきなり急成長する人もいるかもしれないし、模試の問題が悪くて正確に受験者の能力を反映できていない可能性もあります。ここでは除外しますが。】





とにかく、模試を一緒に受けたメンバーと本番を一緒に受けるメンバーの食い違いという点だけでも、模試の結果というものは100%信じ切れるものではなく、
その信頼性は「程度」の問題として、「このくらい(例えば60%くらい)は信頼できるけど、これ以上は信じきれない」という感じに捉えるべきものだと思います。


話は元に戻り、じゃあどうして「無料だから受けた方がいい」のか?

それは、
無料なら有料の模試より多くの人・色んな人がこの全国統一高校生テストを受ける可能性があるから です。
言い換えれば、

通常の模試よりも正確に自分の相対的な学力(=全国におけるレベル)が把握できる可能性があるから

ということになります。やっと答えが言えた(笑)

このテストをオススメするのは、「無料で簡単に受けることができるから」ではなく、


たくさんの人が受ければ、それだけテスト結果の信頼度が高く、

「受けることで自分の実力が他の模試より客観的に把握できそうだから」です。
決してお間違えないように。



※余談ですが、このテストに河合が模試を被せて来ているとか何とか、予備校同士の争いがありありと伺えます。まあでも俺は元東進だし、以上の議論を踏まえる限り全国統一高校生テストを推すことに変わりはありませんねwww


受験生のみんなは結果を出しに行きたい時期ですよね、頑張れー
高1,2年生は遠慮なく3年生を乗り越えに行きましょう。鼻を明かしてやるチャンスです(笑)

ではでは~
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STAP細胞のネタ [時事ネタ]


えぇ~暇というかレポートのやる気がないので今日はもう一つ趣向を変えた記事を。

といっても、思ったことをただ適当に打ち込んでるだけですw
読んでもらおうというよりかは、僕の頭の中をさらしてるだけで、文同士のつながりは皆無に近いですwwww

有名な科学誌のネイチャーがついにSTAP細胞に関する論文を撤回しましたね。

ネイチャー始め、いくつかの有名な科学誌に論文を取り上げられることは科学者にとってのステータスだとされています。

一方で、そういった科学誌の編集者というのは科学者の命運を左右し、かつ世間への影響力と責任も背負っているんですね。

過去にもとある有名な物理学者の研究結果が怪しいということで、雑誌に乗り話題になった後で再試が幾度となく繰り返されるという話があったと聞きます。

その時と今回のSTAP細胞に共通すると思われる点は、「実験の再現可能性」じゃないかと思ってます。
要は再試が可能か、同じ条件下で同じ結果を再現できるかということですね。
もし、今回再試が行われて、存在が証明されていればこんな騒ぎにはならなかったと思います。

ある一定の手続きに従えば、誰もが同じ結果を得ることができる。
そうでなければ客観性が備わった科学の真実とは言えません。

そして、これは、いわゆる理系の扱う物理や化学に限らず、心理学なんていう、俗に文系の枠にはめられる学問でも同じことが適用されるんです。

実験の再現可能性はおそらく「論文を読んでその通りにやれるかどうか」ということに言い換えられると僕は思っています。
とすれば、論文にはできる限り正確にやり方や条件が伝わるように書かれている必要があります。
この前、僕らにも実験のレポートを書かされたのですが、「どんなパソコンを使うのか、ヘッドホンは何か、使ったプログラムは何か、被験者とモニターの位置関係はどうなっているのか」なんていったことまで書く内容に成り得るみたいです。マジかよって感じでしたが

まあ、何が言いたいかというと、たぶん「再現可能性」って実験の論文に関してはかなり重要なんだなぁということです

ちなみに実験にもいろいろありますよね。心理学では
実験室で行う実験だけじゃなくて、アンケートを使った質問紙だって実験としてカウントできそうだし。実験ってつければなんでも良さそうに見えますわww

それじゃ長くなったしここで終わりますか。あぁ酔いが回ってきた←


参照:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140702-00000046-asahi-soci
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