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20220728 ITスキルについての考察② IT運用における気遣い [仕事の話]


https://otapi-no-tekito.blog.ss-blog.jp/2022-05-26

この記事でITスキルに対する自分なりの考えを書いたところで、
それに追加して少しだけ思ったことを今日は書く。

たまに、こちらが敷いたルールを逸脱して自己流で入力をしてくる人がいる。

簡単な結論としては、それは先日の記事で言う①規則性を守るができていないという話で終わりになるのだが、そこについて善良なフォローを加えるとしたら

それはその人なりに「気遣いをした」という解釈になるだろう。
もちろん、結果としては「余計なお世話・不要な気遣い」になるわけだが、なぜそうなるのか?

それは、「気遣いするにもITスキルが必要だから=その後の集計などの後工程を想定しなければ、ただの運用ルールやデータの破壊にしかならないから」という事だと思っている。

そして、ルールを設定する側からすれば「十分なITスキルと気遣いを組み合わせると、結局のところ運用ルールを守ることとイコールになる」という設計が必要になるという事だと思う。

業務上の気遣いというものはITスキルが十分にあれば、正の効用をもたらすが、不足していれば負の効用をもたらす、そういうITスキルの数値に掛け算されて表出する性質だと思う。
変だったり、間違ったIT理解のもとに「気遣い」をすれば、途端に悪い影響をフルに発揮するようになるのは、そういう事だと思っている。

また、入力者側に不要な気遣いを生ませてしまうのは、ルールの無理解であり、初見の場における観察力の無さでもあるのだとも思う。
画面を見る、なぜ色分けされているのか、なぜ文字の色が違うのか、そうした一つ一つに過敏なまでに反応し、緻密に思考を働かせること。
そうしたことはもはや普通にPCを使う仕事であってもがっつり求められているのだと思っている。

この辺り自分は、(だいぶ腕がなまっているとしても)大学受験の入試問題(特に現代文)を解いているときに近い。助詞の使い方や並列構造を見逃さない視野の使い方と、画面を見ているときに働かせる視野の粒度は限りなく近く、挙動から使用を推測する思考と、文章内容から論理を自分の言葉で組みなおす思考は同じプロセスだと思っている。

積み重ねてきたものがどこで役に立つかはわからない。気を抜かず、毎日が修行だと思って生きていくしかないなと改めて思う。
終わり。

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20220709 10時間以上働くと消耗することに気づいた件 [仕事の話]

今週は会社でもいろいろな動きがあって月初業務がいつも以上に大変だった。

事業年度の切り替えを間近にしてそれに関するいろいろなことを同時にやっているからでもあるけど、
単純にやることが多くていつもより長めに働いた結果、

結構疲れたなと感じている。これはまずい感覚だ。

フルフレックスで、所定労働時間は7.5時間と神の労働制度ではあるので、月の前半は平均9時間働き、月の後半は平均6時間働くと月の所定労働時間を満たすことができるので、何となくそうしているが、この9時間は無意識か、それとも偶然か、自分のパフォーマンス限界のギリギリをついた1日当たりの限界労働時間であることが判明した。

10時間以上一気に稼働すると、翌日以降に徐々に疲れがたまっていき、判断のスピードと精度が落ちていることに気づいた。明らかに普段やらないちょっとしたミスをするのだ。(致命的では無かったが)

周りを見れば、1日10時間以上一気に働ける人は結構いる、300時間働く人も勤怠データで見たりする。
が、自分にはまねできないのだという事に改めて認識が行く。

作業や仕事の難易度から言って、時間単位の神経のすり減り(そんなものは本当は無いみたいな話があったが、体感としてこれは存在すると言っておきたい)が自分のポジションは高いと思う。

正直社内で自分ほど幅広い論点の問題を同時に扱い、多くのITスキルを駆使し、他人のミスに気を配ることをしている人間はいないと勝手に思っている。(みんなそうやって自分の仕事に自負を持つものだと思うので、この発言が真にあっているかどうかは不問とさせてほしい。ただ、スプレッドシートやExcelや社内のIT運用について最も社内で推進や改善や啓蒙活動をしているのはエンジニアを含めても自分が一番やっているというのは譲るつもりはない。技術力ではなく、発信力込みだと思うし、その点でそこは自信を持ってる)

そんななかで、事務・経理的な要素に対して使う集中力を業務時間中常にMAXで稼働させているとなれば、他の「ざっくりになっている・ざっくりで構わない」人たちより、単純な認知的な負荷が高いのではないかと勝手に思う事にした。目を皿にしてみないといけないから目が疲れるとか、めっちゃ難しい関数組むから頭こんがらがるとか、具体的にはそういう話が近い。

もちろん事業部門の人は自分にはない色々なことを考えているだろうけど、契約書やデータ、実務オペレーションの求める正確さ・厳密さといったものとは別次元で、根回しやフットワークに代表される精神的な負荷の方が大きいと思っている。(そしてそれこそが、そういった精神性をロジックや必要性の下で簡単に切り捨ててしまう自分のまねできない、リスペクトすべき点である。)

自分のポジションが求められるのは絶対にミスをしない正確さであり、どっちかといえば物理的な観察力や注意力、単純に多くの情報を処理する認知的な体力だと思っているので、これは役割の違いだと思っている。
これに関して別に大学受験でもそれなりの訓練を積んでいるので、現状で低くないというか文章を読んで打ってみたいなことは、周りに比べて相当やり慣れている(そして複雑で硬めの文章を書くことについてはどの職場でも特別に評価されている)のだが、時間単位の生産性が高いことは同時に、時間単位の消耗が早いことでもあるのだという理解をする事にした。

高性能のキャラがめちゃくちゃ耐久力も高かったら、キャラ調整としてはぶっ壊れなので、そういう風にバランス調整されているのだと思う事にした。(自分が高性能のキャラだと思う事自体、おごっていると言われてしまえばそれはそうだが、東大卒だし、管理部門が一番優秀じゃないといけないのでという事にする)

今感じている消耗はめちゃくちゃ危険なもので、前職を辞めたいと思った時もこういう消耗の感覚が強いトリガーとなっている。
今の会社では長く働いていきたいし、長く自分のパフォーマンスを高水準で保つために、戦略的にキャパを管理していかないといけない。

この10時間の壁というものはおそらくそう簡単に克服されるものではなく、自分がより難しいことを早くできるようになったとしても、物理的に15時間働けるわけでは無く、同じ9時間でやれることが増えるだけなんだと思う。生産性は質を上げるしかなく、きっと永遠に勤務時間は有限なのだ。

だからこそ、仕事人としては自分の質を上げる努力をしなければならない。
難しい問題を時間をかけて解くことに価値は無く、解くことは当たり前であり、短時間で解くことができるから価値があるのだ。改めてそれを認識したので書いておく。

自己管理の問題はまだまだ未熟なレベルなんだなぁ、昔の方がうまかったまである。マジで。
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